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その作品「I KILL GIANTS」で、2012年に日本の外務省主催第5回国際漫画賞にて最優秀賞を受賞したケン・ニイムラ氏。新進コミック作家として躍進を続ける同氏に独占インタビュー!

 

 
ー ケンさんがコミック作家になりたいと思ったきっかけは何ですか?
 
それは、幼い頃にさかのぼります。3歳の時にはすでに絵を描いていました。たくさんのマンガを描いて、ホッチキスでとめて冊子にしていました。一枚の絵ではなく、本の形になっている、「多くの絵」を使うという考え方が、私には昔から馴染みのあるものだったのです。
おそらく幼い頃に言葉や絵だけで気持ちを伝えるのが不得手だったことが関係しているのだと思います。つまり実際には欠乏感から来ているのでしょう。言葉と絵を切り離すことができず、最終的にその中間地点をコミックに見い出しました。どちらの表現方法も使えるので、私にはちょうど良かったのです。
 

 
ー 最初のコミックを作ったのは、いつ頃だったのですか?
 
3歳の時にはすでに絵を描いていて、小学校では友達と一緒に「ファンシーネ」と呼ばれる同人誌を作りました。コミックを作って、そのコピーをとって売っていましたね。その後15歳の頃に、その規模を更に広めました。常にコミックと関わりを持ちながら、時間をかけてそれが少しずつ私の仕事になっていきました。何らかの方法でその地点にたどり着いたはずですが、理由は自分でも良くわかりません。でも、コミックがずっと自分の傍に存在していたことは確かです。
 

 
ー すでにいくつかの本を出版されていますね。まず、2012年に日本の外務省主催第5回国際漫画賞にて最優秀賞を受賞されましたこと、本当におめでとうございます。この受賞の経緯を教えて頂けませんか。受賞した作品を制作するきっかけとなったのは何だったのでしょうか。
 
そうですね、まず最初に考えたことは、コミックを作ることです(笑)。タイトルは「I KILL GIANTS」(スペイン語では“Soy una mata gigantes”)です。
このコミックを制作すると決めた時は丁度大学を卒業したばかりの頃で、自分の人生で何をやるのかを考えなければならない時期でした。その少し前にアメリカ人の脚本家と知り合い、ちょうど良いタイミングで物語を作らないかと誘われました。そのストーリーが大変気に入ったので、1年間かけて蓄えた貯金を使ってコミックの仕事をすることに決めました。念願だったパリへの移住を決めて、そこに住んでいる間そのコミックの制作をしていました。
そのコミックは、アメリカで、7巻の漫画小冊子「comic-books」として出版されました。控えめな出版で、宣伝もあまりされませんでしたが、翌年アメリカの「漫画のアカデミー賞」と言われるアイズナー賞にノミネートされました。それからスペイン語、フランス語、オランダ語、イタリア語などでの出版が決まり、その後、日本の外務省主催の第5回国際漫画賞のコンクールに参加することを決めました。結果がどうなるかは想像できませんでしたが、幸い審査員に気に入っていただけて、本当に良い経験になりました。
 

 
ー この賞を受賞されて、いかがでしたか?
 
賞には日本への招待旅行が含まれていて、他の受賞者や出版社、アニメーションスタジオの人たちも日本に来られました。他の国のコミック作家と知り合えたり、雑誌制作の内側を少し理解することができて、とても興味深かったです。この賞の魅力の一つは、日本への旅行費用を負担してもらえて、さらにビジネスクラスで飛べるということでした。でも、私はその時もう日本に住んでいたのです!唯一心残りだったのは、折角ビジネスクラスに乗るチャンスだったのに、その旅行が地下鉄で終わってしまったことです(笑)。
でも、本当に素晴らしい経験でした。さらに受賞の前から日本の出版社がコミックの日本語版制作に興味を持ってくれていたので、結果的にプロモーションにもなりました。その時私はすでに日本で日本の編集者の方々と働いていて、日本で出版をしたいと考えていました。ですからこの受賞は、私にとって精神的な後押しになったと思います。
 

 
ー 作品「ヘンシン」を読んで、東京に住む日本人よりも繊細な視点を持っておられるのではないかという印象を受けました。おそらく様々な国に住まれた経験があるからでしょうか。例えば、街にいる酔っ払いや集団自殺といった話は日本では比較的耳にすることも多いかと思いますが、海外からは特に注目されますよね。

oct2014_Niimura_6「ヘンシン」では、全話を通じて唯一共通項として存在するのは、東京という街です。今の日本、特に東京を用いることによって、ストーリーの内容をよりシンプルでわかりやすく伝えることができるだろうと思いました。舞台を別の場所にしたら、読者は内容より絵のほうに注目してしまうだろうと感じていたからです。
「ヘンシン」のプロジェクトを通じて、ストーリー作りを研究するチャンスを得ました。これにはずっと苦労していました。私がたどり着いた定義は、ストーリーを作るのはレストランを持つようなもので、スペインで言う「市場の台所」(cocina de mercado)を実践することです。つまり、料理人は朝市場に行って、旬の食材を見つけて、買って、それを使ってできる限り美味しい料理を作ろうとします。ストーリーを作るのもそれと似ている部分があります。毎日自分の身に起こることを取り上げて、自分が特に好きな要素を抽出して具体的な形にすることを試みました。
私の考えていたことは、もし私がなにがしか異なる視点を持っていたとすれば、自分の選んだ要素そのものが特別だからではなく、その要素の使い方や組み合わせ方によって、その視点を感じ取ってもらえるだろうということでした。とてもシンプルな材料を選び、その使い方を工夫することによって良いものを作り出す。私が作家として発言するなら、そうやって言葉を聞いてもらいたいし、私自身がどこから来て、どのような経緯で作家になったかは関係ないという状態になりたいです。作家として、作家の個性についてと考えた時に、そういった状況に到達したいと思っていました。
 

 
ー ケンさんは多くの言語に堪能ですが、それはコミックを創作する上で強みとなっているでしょうね。

oct2014_Niimura_5どの言語を選ぶかによって、作る作品のすべてが変わってきます。スペイン語でコミックを作ったこともありますし、直接英語を使ったものもあれば、フランス語、日本語もあります。私自身にとっては、ある言語と、その言語で描かれたコミックの中身との関係は、かなり密接です。ナレーションやコマの配列、対話の配置などは、そのコミックがフランス語か、英語か日本語かによってかなり異なります。それがどんな言語、文法、語彙なのかによって作品の出来上がりはかなり変わってきます。例えば「ヘンシン」は直接日本語で書きました。その言語で考えている時には、文法は異なるし、思考の整理の仕方やその伝え方も変わります。だから「ヘンシン」の舞台は東京でなくてはならなかったのです。
各話で必要とする技術がそれぞれ異なり、筆、ペン、マーカーを使ったりしました。ある意味では、言語も技術のひとつです。例えば「I KILL GIANTS」の言語は英語で、アメリカを舞台にしている為また別の作風になり、考え方も変えなくてはいけません。私にはとってそれはとても楽しい点です。
 

 
ー 「ヘンシン」(変身)というタイトルは、どこから生まれたものですか?
 
カタカナのタイトルにしましたが、おっしゃる通り変身を意味しています。まず、どんなショートストーリーであっても、どこかで変化や新しい局面が出てくるはずです。また、私自身、制作していた12ヶ月の間、変化を探し続けていました。もちろん良い変化ですよ(笑)。
 

 
ー 1ヶ月に一度のペースで、12ヶ月の間オンラインで発表されていましたね?
 
そうです。オンラインで発表することで面白い点は、読者の反応がリアルタイムに感じられることです。実際には、ほぼ全話についてその月ごとに作っていました。それで、一つ一つのストーリーには繋がりがなくても、それぞれの話は、私がその前に書いた話からの影響を受けていますし、また私がそれまでに目にした物事への反応でもあります。だからストーリーに一貫性が見られないとしても、ある意味、奥深くに一本の筋が存在していると思います。
また、ネット上で無料閲覧でき、誰でもアクセス可能とであるということも意識していました。アメリカとスペインで出版したので、日本語がわからなくても作品を見てみようという他の国の人がいるだろうとも思いました。それで自分自身に課したのは、見た目にもおもしろいものを作ることです。それなら言葉が理解できなくても絵を見て楽しむことができるでしょう。オンラインで仕事をするために私がより気をつけなければならなかったのは、テキストと絵のバランスを保つことと、そのふたつが揃っていることで一層魅力的にすること、この二つの点です。とても面白い経験でした。
 

 
ー 「ヘンシン」に収録されている「初雪日記」は言葉のない独特な作品ですね。言葉のない漫画は初めて見ました。
 
そうですね。あれは挑戦のつもりで作った作品です。また、日本語が理解できなくても読み続けてくれている読者に向けた感謝の気持ちも表したくて、「じゃあ、世界中の人が理解できる言葉なしのコミックを作ってみよう」となったのです。
オンラインで何かをやる時は、世界中のどこの人でもそれを読む可能性があります。言葉をなくすことによって多くの人に見てもらいやすくなりますが、一方で、絵の明確さを保つ必要ができて、より難しくなります。さらに、かなり難しかったのは、オンライン版では一つずつ絵を見せていく点です。マウスで下へスクロールしながら絵を見ていくことになるので、まるで「絵巻物」のようになりますね。本当におもしろい挑戦でした。

 
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ー 今まで、マドリード、パリ、東京、ブリュッセル、モントリオールなど、多くの街に住まれていますが、これらの街に住んだ経験は、制作活動にどのくらい影響を与えていますか?
 
最初に訪れた街はブリュッセルで、「MERCI」の話はそこでの体験に関係しています。エラスムス留学制度で行きましたが、到着した時フランス語はほとんど話せず苦労しました。コミック作家として一日中家にいて働いているわけですが、「一日中家の中で働いて、外に出ても目にする物はいつも同じだなんて… 私にはできないな」と思いました。
そこで「たとえ一日中家で働いているとしても、外に出掛けて、いつもとは違う物を見るようにしよう」と考えたのです。私自身、知らない場所に住んで、その場所に親しんでいくことは大好きです。ひとつの場所で時間を過ごし、そこを本当の意味で知っていくのは楽しいことです。
 
また、ブリュッセル、モントリオールとパリもまたフランス語圏だったので、少しずつフランス語を学んでいきました。コミュニケーションのとり方がわからない場所で暮らしていると、知っている数少ない単語を最大限に使うようになります。自分が言いたいことを人に理解してもらうために、とてもシンプルな方法で、複雑にすることなく、意思疎通をするやり方を学ぶものです。私がコミックを描く時は、今でもその理屈で動いていると思います。絵や言葉で何かを語る時、できるだけ理解してもらえるように、とてもシンプルでストレートな方法を使いたいと思っています。これは、私が自分を理解してもらわなければいけない状況に向き合わざるを得なかったことと関係しています。前はもっとややこしい物言いをしていました。ですので、個人的によい経験になったことに加えて、コミックで視覚的な表現をする方法を考えるのに役立ちました。
 

 
ー あなたが注目されている作家の方はいらっしゃいますか?
 
幼い頃から目にしていたのは宮崎駿さんの作品です。いつも夢中になって見ていましたし、今でも大好きです。最近で言うと松本大洋さんで、よりインディーズ系のコミックを描いている方です。私がIKKICOMIXで作品を発表したかったのは、彼がそこで作品を発表していたからです。IKKIは、商業的なコミックと漫画家のためのコミックの中間的な性格の雑誌で、とても良い作品を作っています。個人的な要素がありながらも読者を選ばないという、私がまさに好きな種類の作品です。松本大洋さんは、私にとっては、今の日本にいる最も素晴らしい漫画家の一人です。彼について私が魅力的だと思うのは、一つ一つの作品で新しい挑戦を試みてきた点です。距離を置いて彼の作品を見てみると、彼が今までの作品で達成したことに全然満足していないことがわかります。作品を描く度に、今までやってきたことを進化、改良させて、一歩前へ進んでいます。また、作品から進む道がはっきりわかっている人だということが読み取れます。何を語りたいかがわかっていて、ぶれることがありません。創作に対する潔さが魅力的だと思います。

 
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ー 今後のプランを教えてください。
 
現在新しい作品を制作中で、時期を見て出版されるでしょう。その後は単巻の作品を作りたいと思っていて、私の次のステップになるでしょう。いつになるか、どのようになるのかわかりませんが、近いうちにやりたいと思っています。
 

 
ー まずは日本語で描かれるのでしょうか。
 
はい、「ヘンシン」で学んだことを活かしたいと思っています。東京では、物事が熟成するのに時間がかかります。東京が広いことと関係しているのかもしれません。大きくて、人も多い。今でも、まだ到着したばかりで、これからすべてが始まるかのような感覚になります。私は、何が起こるのかぼんやりと見え始めたところで、やるべきことはまだたくさんあるのです。
 

 
ー 作品展「シェ・にいむら」を京都で開催されましたね。いかがでしたか?
 
京都でギャラリーを持つ人が作品展をやりたいと連絡をくれたので、「ヘンシン」の出版物を使って、先程言った「レストラン」のアイディアを全体的なベースにして行いました。こじんまりとした展示会で、居心地のいい空間でした。「ヘンシン」と「I KILL GIANTS」の原画を展示できたのがとても良かったです。自分が達成したこととその過程を伝えることができる、とてもよい機会となりました。
 

 
ー そしてこの夏はスペイン語版「ヘンシン」のスペイン・プロモーションツアーを行われましたね。
 
はい、テネリフェ、マドリード、サラゴサ、サンタンデール、ビルバオを訪問しました。スペインにはサロン・デル・マンガのために11月に戻ってきます。

 
oct2014_Niimura_salon de mangaー 2014年のバルセロナ「サロン・デル・マンガ」では、ポスターを制作されましたね。
 
そうです。また、私も招待していただいたので、京都で開催した展示会に近いものをやる予定です。今年のサロン・デル・マンガは素晴らしい作家が集まり、おもしろくなると思います。私の好きな作家の方々と知り合えるので、サロン・デル・マンガに招待されることになって嬉しいです。日本では他の方法で知り合うことはできなかったでしょうから。
 

 
ー 話は変わりますが、スペインと日本について、一番の魅力、そしてあまり好きではないところを教えてください。
 
そうですね、日本の好ましいところと言えば、あらゆる意味で、細部まで行き届いているところとその正確さだと思います。東京にいて快適なのは、何かを頼んだり、何かをする時に、次に何が起こるかわかっていることです。地下鉄に乗る時に、何時に電車が来るのかわかっているというのは、気持ちが落ち着きます。安心感ですね。でも、効率的なのは好きですが、その代償は臨機応変な部分が減ることです。日本にいるとそれを物足りなく感じます。スペインの場合は逆です。即興が許される度合いがかなり大きく、でも何かやろうとした時に最終的な結果が見えないのです。どちらのシステムも機能しますが、問題はそのふたつが交差する時です。例えば、スペイン人が行き当たりばったりなやり方で日本に住もうとする時、あるいは日本人が東京にいるかのようにスペインに住もうとする時です。どちらも好きな都市ですが、そのシステムはまったく異なっていると思います。
また、日本では、目に見えるもの、物の見た目を丁寧に作るので、とても美しいです。ペドロ・ガジョ氏が書いた本で的を得ていると思ったのが、日本では、生産された商品があまり優れたものではなくても、見た目が美しければ世間は許してくれるということです。商品が役に立たなくても、見た目が良いならいいわけです。スペインでは、もし商品が役に立たない物なら、その見た目が素敵かどうかは、人はどうでもいいと思うでしょう。大事なのは心を込めて作られているかどうかで、良い商品を作ろうという誠意を人は受け入れるのです。これは、スペインと日本の違いをとても明瞭に表していると思います。でも結局住むとなれば、この正反対の国両方に慣れてしまえるものですが。
 

 
ー それでは、あなたがスペインにいる時に日本のどんなことを懐かしく思いますか?そして、その逆も教えてください。
 
日本では、マドリードでいつもできることができないので寂しいです。誰かに電話して「今どこ?」と聞いて、その5分後には「じゃあ、そっちに行くよ」と言うようなことです。マドリードでは、もう少し秩序があったらいいと思う時もありますね。私にとって理想的な国というのは、ふたつの国の要素があることかもしれません。そして、食べ物について言えば、ここスペインにいる時は和食を食べたくなりますし、その逆もまた然りです(笑)。
 

 
ケン・ニイムラは、「サロン・デル・マンガ」のために11月にバルセロナに戻ってくる予定である。「世界の市民」として生きることに長けた国際人。彼が次回作でどのように驚かせてくれるのか楽しみである。

 
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ケン・ニイムラ オフィシャルウェブサイトwww.niimuraweb.com

 

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ケン ニイムラ著

IKKI COMIX

 

oct2014_Niimura_ikillgiantsI KILL GIANTS

ジョー・ケリー (著)
ケン・ニイムラ (イラスト)
柳 亨英 (翻訳)

IKKI COMIX