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国際交流基金マドリード日本文化センターでは、日本文化のステレオタイプともいえる三つの対象、侍、忍者、芸者に関し、一般に信じられているそれらのイメージとその真実について考える活動を行っている。

忍びの者は、日本の歴史上で活躍する一方、その実際の姿はミステリーに包まれている。

忍者と忍術の二つの里、伊賀と甲賀に近い三重大学では、甲賀流忍術の一派である伴家忍之伝の研修所所長である川上仁一氏を招き、日本に留まらない世界の文化としての忍者と忍術の研究を進めている。

 

 
11月19日に国際交流基金マドリード日本文化センターにて、三重大学の吉丸雄哉准教授による忍びの者の歴史とその変化についての講演会と、忍者の精神を現代に受け継ぐ川上仁一氏による忍術のデモンストレーションとワークショップが開催された。

 

 
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忍者のルーツは戦国時代から江戸時代にかけて存在した「忍びの者」。
15世紀後半から150年間続いた戦国時代に、忍びの者は大名のもとで活躍する。
平和になった江戸時代にも大名が扶持を出して忍びを雇っていたが、明治時代になると大名がいなくなり、職業としての忍びもなくなってしまう。

[左] 伴家忍之伝 研修所所長 川上仁一氏 [右] 三重大学 吉丸雄哉准教授

[左] 伴家忍之伝 研修所所長 川上仁一氏
[右] 三重大学 吉丸雄哉准教授

しかし江戸時代まで職業として培われた忍術はその後も継承されており、その数少ない現代への継承者が川上氏である。

 
忍びの術とは、情報を収集し、人間関係を築くための術。不必要な戦を避け、正確な情報に基づいて効率的に動くための教えであった。

もともとの忍びの者は戦士ではなく、むしろ弁術巧みな人間で、忍びの者であることを悟られないため、現代において一般的に考えられている黒装束ではなく、普通の姿で動いていた。

 
ではどうして現代では、忍者イコール黒装束だと考えられているのか。

18世紀の後半に歌舞伎等の芝居の中に忍者が現れ始めたが、多くの場合彼らは悪者役で、黒装束を身にまとっていた。これが作られた忍者像の始まりとなり、それ以降、芝居、軍記物の小説等のなかで、超人的な武術の部分を強調する形で忍者の姿が描かれるようになった。これが現代に通じる、我々が一般的に理解している「忍者」の姿である。

 
本当の忍術とは:

忍術は自存、自衛の為の総合生存技術。
忍術の根元は「和」の思想の実践。
「忍」の心は忍耐と自愛。
武術は忍術の一部でしかない。

 
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争わない、戦わない、自存自衛、共存の為の知恵。お互いの損失を防ぐ。じっと我慢するための術。敵への根回し。

 
現代に生きる我々も、知らないうちに同じような事をやっているのかも知れない。
忍びの者に通じるこれらの教えは、現代にも生かされているのではないだろうか。

 

 
三重大学 人文学部・人文社会科学研究料:http://www.human.mie-u.ac.jp
伴家忍之傳研修所:http://www.eonet.ne.jp/~bankeshinobi/